nakayubi

書くための座標

大江健三郎『われらの時代』読了。近日中に何度も読み返すことになるだろう。後半にアンガージュマンについての示唆がある。また、英雄的な死についての示唆も。靖男は英雄的で滑稽ではない自殺が可能だと考えるが、それは果たして本当だろうか。英雄的な死とは滑稽なものではないか? 三島由紀夫の死は滑稽ではないか? 『性的人間』の《厳粛な綱渡り》という詩を書こうとしていた少年の死は滑稽ではないか?

寮の小説を書き始めた。が、気に入らない。文体の密度が圧倒的に足りない。あまりにあっさりと進みすぎている。楽に呼吸ができてしまう。全然だめだ。もう軽い文体で進めるべきなのかもしれないが、だとすれば重すぎる。中途半端だ。
つい先日読んだ後輩の小説の引力から抜け出せないままでいる。その小説を読んだとき、冒頭部で吐きそうになった。ずっとあの調子で進められたら恐らく吐いていたと思う。あの窒息するような文体をどこで手に入れたのだろうか。俺は怖い。笑顔で何度も絵の具の沼に窒息させられる夢を見た。怖い。恐ろしい。今もその感覚を思い出して果てしなく疲労している。俺にはあまりに遠すぎる文体だ。密室で嬲られているような気分だ。俺もあれが欲しい。だがいくら推敲してもあそこまでは届かない。やってられない。俺は怖い。