柄谷行人『終焉をめぐって』を読み進めている。取り敢えずは160pまで流し読みしてそこからまた再読するつもりでいる。
大江健三郎『
万延元年のフットボール』と
村上春樹『
1973年のピンボール』の相違点についてはおもしろいと思った。まずもってタイトルがパロディのようだという指摘にははっとさせられた。なぜ今まで気がつかなかったのだろうか?
また、
三島由紀夫事件=「
昭和維新」の再現=ファルスという箇所がある(47p)。もちろんここでのファルスはファルス(farce)であり、ファルス(phallus)ではない。が、
三島由紀夫事件をfarceとphallusから考えてみるのもおもしろいかもしれない。ちなみにfarceは
ラテン語ではfarcireであり、原義は「詰め込む」(笑劇が宗教劇の間に上演されたため)だという。何かを詰め込まれ、膨らんでいく身体。そして自己。それは時空を超越し、自己を無限に拡大する(子宮の中の胎児のように、去勢される前の幼児のように)。